桜の木は死体の血を吸って咲き誇るという。
だから桜の木の下には死体が埋まっている。
死体の魂が宿った桜の木は怪しく人間を魅了する、と。
「今は何月でしょうか」
隣にいた男が不意にそんなことを俺に聞いてきた。
「恐らく、4月……か」
俺がそう答えてすぐ、遠くで銃声が聞こえた。
ああ、また誰か死んだのかと漠然と思う。
「じゃあ、桜の季節だ」
男の言葉にぐるりと辺りを見回してみると、青い空に南の島の木々。桜の木などあるはずもない。
ここは、血の臭いが漂う戦場だ。
俺たちは今、敵軍から逃れてジャングルの中を闇雲に走っている。
敵前逃亡は恥だと教え込まれていたから、一応進軍という事になっているが。
熱帯地方特有の暑さと湿気、それと恐怖で俺たちの体力はゼロに近かった。
「お前、名前は?」
隣の奴の顔は昨日まで居た人物とは違う人間だった。
「桜木であります」
彼は人懐こい笑みを浮かべながら答えをくれる。
「俺は、植野だ」
よろしく、なんていつまでよろしくするか分からないけれど。
周りを見ると最初の頃から比べると随分人が減ったと思う。隊長殿も前の一戦で居なくなってしまった。
「植野一等兵殿」
さっそく桜木が話しかけてきたのには少し驚いた。
「何?」
「疲れているなら、黙っていてくれて構いませんので、自分の話を聞いてはくれませんか」
恐らく、断わったとしても彼は勝手に話し始めたと思う。
この時俺は、少しでも敵への恐怖を紛らわしたかったのもあって、頷いてみせた。
そこから、彼の静かな話が始まった。
私の家は山奥にあります。
山に囲まれた小さな村で、何もない分平和なところでした。
村の奥には小さな神社がありまして、そこに大きな桜の木が植えられていました。
言い忘れていましたが、私は孤児だったのですよ。その桜の木の下に捨てられていたのです。
捨てられていた、と義父は言いますが本当は違うことを私は知っていました。
私は、木の根元から生まれてきたのですよ。
と言うと私が気がふれているとお思いになるでしょうね。
もっと詳しく言うと、木の根元に埋められていた女の死体から生まれた、という事です。
驚きましたか?
飴買い幽霊という話はご存知でしょうか?それと似たようなものです。
あの、幽霊が自分が死んだ後に生まれた赤子のために飴を買いに来る話ですよ。
私の母も桜の木の下に埋められた時、私を身ごもっていたのです。
そして私は母が死んだ後、自らの力でこの世に生まれた。
いや、自らの力では無く……桜の力もあるのでしょうか。
私は母の胎にいるとき桜の声を聞きました。
桜は母の体を養分とし、成長していたのです。そして、私に生まれろと命じた。
私は母の腹を突き破り、重い土から逃れました。
そうして桜の木の下で泣いている私を義母が幸運にも拾ってくれたのです。
何分赤子でしたから、そんな記憶はまったくありません。
義母もまさか桜の木の下に埋められていた死体から私が生まれたと思わなかったようで、捨て子だと私に同情してくれました。
そうして、数年は普通の子供として育てられたのですが……あれは私が10歳の時でした。
桜に、呼ばれたんですよ。
私の元においで、と。
私がお前の親だ、と。
夜中にふらふらと桜のところへ行くと、彼は私を歓迎してくれました。
今でも忘れられません。
藍色の空の下で妖しい色で咲き乱れる桜の姿を。
桜は私のことをすべて語ってくれました。
私がここから生まれたこと。
私の母のこと。
私の母が、何故ここで眠っているのかということも。
桜の下で眠っている女性が私の母なら、父は桜です。
幼い私は桜の言葉をすべて受け入れました。
私の母は、誰かに殺されてそこに埋められたと桜が教えてくれました。
桜はすべて知っているはずなのに、誰に殺されたのかは教えてくれませんでした。
けれど、母は幸せだと思いました。
あんなに美しい桜の一部になれるなんて、私にとっては羨ましいかぎりで。
そして、桜は私に要求してきたのです。
そろそろお前の母親の養分が無くなるから、別な人間が欲しいと。
私は恐怖で足が竦みました。
それは、母のように魂の無い人間を用意するということです。しかも、年若い女子を桜は好んでいました。
嫌だと首を振ると桜は葉を震わせるのです。
それが無いと自分は美しい花を咲かせられない、と。
桜の美しさは子供の私にとって誇りでした。
桜の美しさは私を魅了していました。
けれど、人を殺すことなど幼い私に到底出来ることではありませんでした。
桜もそれを解ったのか、あっさり引き下がってくれました。
私は桜が咲き誇る春の間、ずっと桜と共にいました。
それを見咎めたのは義父でした。
あの桜の近くには行かないよう、私にきつく言い聞かせるようになりました。
しまいには夜中、私の部屋の前で見張るようにまでなったのです。
けれど、私の耳には夜な夜な桜が私を呼ぶ声が聞こえてくるのです。
それは普通の人間には単なる木のざわめきのようにしか聞こえなかったかもしれませんが、確かに私を呼び求める桜の悲痛な叫びでした。
桜が私を求めるのは当然です。私は、桜の子供ですから。
私が若い男になるに連れ、義父は年老いた男になっていきます。
彼の眼を盗んで桜に会いに行くことは年々簡単になっていきました。
桜に会わない春の日はありませんでした。そうしているうちに私も青年となり、ある女性に恋をしました。彼女は若くてとても美しい、桜のような女性でした。
ある日、桜は私に彼女をこの木の下に埋めろといいました。
そうすれば、彼女は桜の中で生きてゆけるのだそうです。
10年前はその恐ろしさに震え上がった私も、その時はある種の喜びを感じました。
だって、そうでしょう?この世でもっとも愛しい女性が、さらに美しく長く生きていくことが出来るのですから。
桜に言われてすぐ私は彼女を桜の木の下に呼び出しました。
彼女の血はとても紅くて、これなら桜も満足するだろう、と私は嬉々として彼女の体を埋めました。
けれど、私は彼女の人間としての姿も好きでした。だから桜に時々掘って、彼女に会っても良いかと尋ねました。桜は快く了承してくれました。
桜の大きな木にそっと触れると、彼女の血が桜の中を巡っていく鼓動を感じました。
とても優しい鼓動でした。
この中には母と愛しい恋人がいるのです。これで桜を益々愛しく思うようになりました。
願わくは、私もこの中へ行きたいと思いました。そうすれば、私は体と言う壁から抜けだして、彼女と一つになれる。愛しい桜と共に生きられる。
その春は、例年より赤みの増した花を桜は咲かせました。あの美しさは言葉では表すことが出来ません。
土を掘れば彼女の美しい寝顔を見ることも出来ました。私は一日中桜の側から離れませんでした。
それを義父は異常に感じたのでしょう。
桜の木の下までやってきて、私を彼は怒鳴りました。
恋人がいなくなったというのに、何故捜索もしない、と。
その時桜がざわめきました。
桜はその時私に教えてくれました。彼が、お前の母を殺した人間だと。
桜に、血の味を教えた人間だと。
私は怒りは感じませんでした。桜を美しくした初めの人ですから。
尊敬の念を抱きつつそれを義父に言ったら、彼は顔を真っ赤にして持っていた斧で桜の体を切りつけたのです。
その瞬間、桜の体から真っ赤な血が噴出しました。
母と、彼女の血です。
それから義父は発狂してしまいました。
私もそれからすぐに出兵することになり、桜にはもう5年ほど会っていません。
「私も、出来るのであればあの桜の下で眠りたい」
彼は周りの植物を眺めながら呟いた。
俺には、到底理解できない話だと思った。
それを読み取られたのか、桜木は苦笑する。
「命をかけるものは何でも美しい。そうは思いませんか?」
「美しい、ね」
俺は今まで戦場でもがき苦しみながら死んでゆく仲間を何度も見てきた。
あの姿が美しいとはどうしても思えない。
「死ぬ前にもう一度桜に会いたいですよ」
そう、彼が言ってすぐに銃声が聞こえた。
今度は、間近で。
「敵襲!」
前のほうを歩いていた兵がばたばたと倒れてゆく。
手に持っていた殆ど役に立たない銃を強く握り締める。
それからは、国なんて関係ない、自分と相手の命の攻防戦。
他人のことなんて気にかけていられない状況だった。
だった、はずなのに。
不意に目線をあげると、さっき話をしていた桜木の背が見えた。
次の瞬間、俺はわが目を疑う。
ぱっと紅い花びらのようなものが彼の周辺を舞ったのだ。
彼が少しだけ俺を振り返って、嬉しそうに微笑む。
その眼は確かに、何かに魅入られている眼だった。
彼の体は銃弾の雨を受け、血を散らしながらゆっくり倒れていった。
まるで、暖かい雨で散ってしまう桜のように。
彼の血が、桜吹雪のように舞う。
自分の命を最後に懸命に美しく見せようとする桜だった。
遠い異国の地で、俺は確かに桜を見た。
それはとても美しく哀しい桜だった。
終
もう少し文章力をつけてから再チャレンジしたい話です。
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