「やーい、なきむしー」

「ばっ!俺は泣き虫なんかじゃない!!」



 信行は子供が子供をからかう声にふと顔を上げた。

 子供が誰かをからかって、というより苛めて楽しむのはいつものこと。

 けれど、苛められている相手が相手なのだから黙っているわけにはいかなかった。

 にしても、「泣き虫」とは彼に似合わない称号だ。



「やーい、恐がり!」

「てめえ!誰のこと言っていやがる!!」

「じゃあ、触ってみろよ、犬」



 いじめっ子の最後の言葉に合点がいく。

「伊織」

「信行!」

 いじめっ子とにらみ合いをしていた伊織はあわてて信行の背に隠れた。

 こういう行動も珍しいの一言に尽きる。

「ほら、泣き虫じゃないか」

 近所のガキ大将の手には茶色い毛の柴犬の子供が愛らしい目を向けてきていた。

 普段喧嘩で勝てないから、彼の苦手なものを持ち出してくる彼にも呆れるが、こんな小さい、怖いというより愛らしいという形容詞のほうがしっくりくるものに怯える幼馴染みにも正直呆れる。

「な、泣いてなんかいない!!」

 背中で伊織が叫んでいるが、自分にすがりついてくるその手は明らかに震えていた。

「いいから、その犬どっかやれよ!」

 必死な願いに相手はニヤリと笑む。その表情に信行は眉を寄せた。

 そして、信行が予想した通り

「ほら、行け」

 相手は犬を伊織の方にけしかけた。

 きゃんきゃん、と犬は喜んでこちらに向かってくる。

「うわああああ!」

 役にたたない盾を捨てて伊織は走り出す。

 けれど犬は走るモノを追う習性を兼ね備えているので、迷わず逃げた彼を追いかけた。

 犬の飼い主はその様子に爆笑し、信行はため息をつく。

「悪戯が過ぎるんじゃないか」

 笑っている相手を冷たく一瞥してやると、彼はふん、と鼻を鳴らした。

「だったらお前も助けてやったらどうなんだよ。友達甲斐のないヤツ」

「あんなモノごときに怯えるなんて情けない。大人になるまであれを克服しないと」

 自分たちは有名な剣豪に拾われ、その腕を引き継ぐ資格を与えられたのだ。

 立派な剣豪になるのに、あんな小さな生き物に怯えるような精神は頂けない。

 伊織は、今のところ師の教えを充分に吸収できる見所のある子供だった。それは信行も認めている。

 だからこそ、彼には苦手を克服して欲しかったのだ。

 それと、あんなものに怯えるなんて、とどこか侮蔑の感情も持っていた。

 助ける気は全く起きない、それも事実。

 姿が見えなくなった伊織にどこまで逃げたんだか、とため息を吐いて自分の修行に向かった。



「なんで助けてくれなかったんだよ!」

 夕食時、ぼろぼろの姿で帰ってきた伊織がいつものように信行に詰め寄った。

「あんな子犬くらい、どうにかしてみろ」

 この件に関してだけ何故か信行は自分に冷たい。それは伊織も薄々気が付いていた。

「どうにか出来たら苦労しないんだよ」

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて・・・・・・」

 いつも仲介役は二人よりずっと年上の尚柾の役目だった。

 尚柾はすでに成人しているので子供を宥める役には最適だったからかも知れない。

「信行は伊織より3つも年下なんだから、かばってあげないと」

「子犬ごときから庇えと?」

 ごとき、という言葉に伊織は顔を紅くする。

「もういい!信行なんて嫌いだ!」

「ほら、伊織も・・・・・・大体、何でお前は犬が嫌いなんだ?」

 尚柾の問いに伊織は言葉に詰まった様子。

「・・・・・・ごちそうさま」

 食器を乱暴に膳に置いて、伊織はかけ出していった。


 どたどたどた、と木の廊下を走る音に翁は目を細める。

「伊織か」

 縁側でのんびり星を見ていたが、弟子の登場でその時間は無くなってしまうだろう。

「親父殿!」

 自分を父と呼ぶのは伊織だけ。

「どうした、夕餉は終わらせたか」

「はい、あの、親父殿」

「なんだ」

「どうすれば犬が怖くなくなるでしょうか」

 とうとうきたか、と翁は思う。

 彼の犬嫌いは近所では評判で、自分もその怯えっぷりを何度も見てきた。

 その姿を思い出し、苦笑するしかない。

「無理をするな」

「しかし!」

「大人になれば、いつかは怖くなくなる。お前が犬を怖がるのはおそらく当然のことだ」

 顎に蓄えた白い髭を撫でながら、翁は伊織を助けた時の事を思い出す。

 切支丹を全滅させようとした兵は、森に隠れた彼等を見つける為に犬を使っていた。

 伊織も必死でその犬たちから逃げていたのだろう。そしてその経験が彼に恐怖を与えている。

「強くなれ、お前はきっと強くなれる」

「親父殿」

「強くなったら、犬も怖くなくなるだろうな」

 伊織はまだ小さい。

 幼い頃の恐怖体験は大人になっても引きずるというが、それは翁も口にしなかった。

「ほら、早く寝ろ。寝る子は育つ」

「はい!」

 にぱっと伊織は笑って自室へと引き上げていく。

 翁はほっと息をついて再び空を見上げた。





「泣き虫伊織〜〜」

「泣き虫じゃない!」


 またそんな声が道場にまで聞こえてきた。

 信行は息をついて竹刀を肩にかける。

「信行」

 その時、稽古をつけてくれていた翁がちょっと座れ、と床を指差す。

「何でしょう?」

 床に座りながら問うと、翁は「うむ」といつもより低い声で話し始めた。

「伊織の犬嫌いのことだ」

 流石の翁も見かねてきたのか、と思う。

「お前はどう思う?信行」

「情けないですね」

 はっきりと答えるが、翁は軽く頷いただけ。

「どうやっても、恐らく彼奴の犬嫌いは治らないだろう」

「・・・・・・何故です?」

「彼奴が犬嫌いになったのは、其れ相当の恐怖を与えられたからなのだよ」

 翁の話に信行も驚いた。

 彼の父は切支丹で、処刑されていると。

 それを伊織は見ていたこと。

 兵が放った犬に一晩追いかけ回され、傷を負ったこと。

 そして、彼の胸の十字傷のことも。

「お前が一番彼奴と年が近い。何かと、庇ってやってはくれぬか」

 翁直々の頼みとあっては、信行も断れない。

「承知、しました・・・・・・」

 ではさっそく、というような目配せに一礼し、竹刀を置いて廊下を早足で歩いていく。

 あの二人、出会ってもうすぐ2年も経つというのにまだ打ち解けていない。

 翁にとってはそっちの方が心配だったのだ。

 これが、何かのきっかけになれば良いのだけれど。




「だから、犬近付けんじゃねー!!」

「お前が俺の手下になるっていうなら考えてやってもいいぜ」

 近所のガキ大将らしい交換条件に「誰が!」と伊織は叫ぶが、顔のすぐ近くまで子犬を近づけられ慌てて一歩引いた。

 が、その一歩分相手は歩み寄ってくる。

「ほら、ほら」

 極めつけは、犬の「わん!」という鳴き声。

 さっと伊織は顔色を白くする。

「近寄るなぁ!!」

 伊織は無我夢中で、犬ではなくそれを抱えている人の方の顔を思い切り殴っていた。

 思いがけない攻撃に、抱えていた手の力が一瞬緩み、すかさず犬がその腕から抜け出す。

 それに伊織は青ざめる。

 あそんであそんで〜〜とぱたぱたしっぽを振る子犬は、伊織にとっては地獄の番犬。

「馬鹿ぁぁぁ!こっち来るなぁぁぁ!」

 走り出した伊織を子犬は楽しそうに追いかける。

「伊織は?」

 彼等が走り去ってから顔を出した信行に、殴られた彼が頬を押さえながらある方向を指差した。

 取り敢えず礼を言って、追いかけようとしたが

「ああ、次からこういう事を伊織にしたら俺がお前殴るから」

 覚えておけよ、と笑顔で忠告してやる。

 相手が青ざめたのを確認してから教えられた方向に向かって駆け出した。



「あー・・・・・・やっちまった・・・・・・」

 無我夢中で走ってきたら、山の中に迷い込んでしまったのだ。

 しかも

「何でこんなところに落ちるかなー・・・・・・」

 あ、と思った時は遅かった。

 生い茂っていた木々に助けられたから怪我は軽いが、崖から落ちてしまったのだ。近くに川があるからどこかの道につながってはいるだろうけれど、落ちた時に足を捻ってしまったようで、立てない。

 崖の上には自分を追いかけてきていた子犬が残念そうにこっちを見下ろしている。

 ざまぁみろ、と舌を出してやると姿を消した。

 犬から逃げられただけでも良かった。

「いってー・・・・・・」

 木の所為で体のあちこちに切り傷が出来てしまった。まぁ、全身打撲よりはずっとマシな範囲だ。

 夕方になれば誰かが自分の不在に気が付いて、助けに来てくれるだろう。

 近所の山だし、そう慌てることもない。

 ばしゃり

 水がはねる音がしてさっそく誰か人が来たのか、と安堵する。

 痛む体を動かした、が・・・・・・

 その正体に伊織は硬直した。

 犬!?

 子犬ではない成犬が水を飲んでいる。しかも二匹も。

 それだけで頭の中が真っ白になり、正常な判断力が出来なくなっていた。

 犬が何かに気が付いたようで、不意に顔を上げた。恐らく、伊織の血の臭いに反応したのだろう。

 くるりと正確に伊織の方を振り返った。

 鋭い目に伊織は体の体温が下がるのを感じた。

 喰われる、と直感的に思う。

「うわあああ!」

「!伊織!!」

「のぶゆきっ!?」

 自分の悲鳴を聞いたのか顔を上げると崖の上に彼がいた。

 信行はすぐ下の状況を察し、「落ち着け」と叫ぶ。

「それ、犬じゃないけど・・・・・・」

 系統は一緒か、と思い崖から飛び降りた。

 伊織がクッション代わりにした木を信行は足場代わりにして地におりる。丁度、伊織と動物の間に。

「大丈夫か?」

 くるりと振り返ると伊織が一瞬緊張していた表情を緩めるが、すぐにいつもの怒ったような顔に変える。

「お前、なに連れてきているんだよ!!」

 そう、彼は自分の腕の中にいる存在に憤慨しているのだ。

「何って、途中で拾った」

 伊織をここに突き落とした張本人が「わん」と元気良く鳴く。

 けれど、今はそれは恐怖の対象からはずれている。

「ああ、安心しろ。後ろの二匹は、犬じゃなくて狼だ。死体しか喰わない」

 やたらめったら攻撃しなかったらあっちも襲ってこないだろう。

「ほら」

 伊織はしゃがんで自分に背を向けた信行の意図を読み、それに従った。

 3つ年上の彼にとっては自分をおぶる事など動作もないだろう。

 信行の足下では子犬が元気良く鳴いている。

「帰るぞ」

「うん」

 本当に狼が襲ってこないかひやひやしたが、そんな気配は全くなくほっとする。が

「信行!あいつらついてくる!」

 狼が二匹、歩き出した自分たちに付いてきているのだ。

 やはりどこかで襲う気なのでは、と思うが

「ああ、大丈夫。送り狼って、自分の縄張りから出るまで付いてくるんだよ」

 あっさり信行は答え、速度を速めるわけでもなく歩く。

「もうすぐ彼奴等の縄張りの外だ。時期にいなくなる」

 そう信行が言った時に振り返ってみると、狼が二匹ぴたりと足を止め、自分たちを見送っていた。

「ホントだ・・・・・・」

 子犬は元気に足下に引っ付いているが。

 ふっと緊張が緩んだ途端、目の奥の方が熱くなる。

 自分の肩を掴んでいる伊織の手の力が強まったが、信行は何も言わずただ帰路を辿る。

 空を見上げると一番星が光っていた。




「痛い!」

「これぐらいの事でがーがー騒ぐな」

「でも痛いって!お前医者には向かないよ」

「はい、なる気は全くないのでご安心下さい」

「痛いー!」


 そんな伊織と信行のやりとりを翁は酒の肴にして楽しんでいた。

「まさか送り狼に送られてくるとはな」

「はい、俺も初めてで」

 信行が少し嬉しそうに言う。

 けれど犬とまったく同じ姿の狼に送られても伊織はまったく嬉しくない。

「いいなぁ、私も見たかった」

 幼い宗冬が心底羨ましそうにしているのには頬を引く付かせるしかない。

「狼なんて犬より物騒だぞ」

 この人達神経おかしいんじゃないか?

 そう思いながら薬草を片付ける信行に視線を移した。

 彼は包帯を出しながら翁を振り返る。

「翁殿、しばらく伊織の修行は控えた方が」

「そうだな。伊織、勉学の方に励め」

「うえ・・・・・・」

 頭を使うより動いていた方がずっとマシな伊織はあからさまに表情を歪める。

 腫れた足首に信行が触れたらしく、鈍い痛みを感じた。

「痛・・・・・・っ」

「治るまで絶対安静だ。捻挫はきちんと治さないと癖になるからな」

「わかっているよ」

 信行は慣れた手つきで自分の足に包帯を巻いてくれる。

「伊織、痛い?」

 心配そうに宗冬が聞いてくるが「いや」と答えておく。

 自分より年下の彼に弱みを見せるのは癪だ。

「大丈夫だ、おぼっちゃんとは体のつくりが違うんだよ」

 おぼっちゃん、と呼ばれた宗冬は不満げに眉をしかめて翁の方に行ってしまった。

「どんな人間でも、痛いモノは痛い」

 会話を聞いていた信行が呆れたように息を吐く。

 なんだよ、と一段下に膝をついている信行を睨むが、彼の視線が自分の胸元にあるのに気が付く。

「綺麗に十字だな」

「いいだろ、そんなことどうだって」

 妙な評価に伊織はその古傷をさする。と

「安心しろ、俺の方が体の傷は多い」

 さらりと信行はそう言い、何事もなかったかのように立ち上がる。

「・・・・・・え?」

 言われた意味をいまいち飲み込めていない伊織ににやりと笑って見せた。

「何だったら、見せる?」

「いいいいいいらない!」

 ぶんぶん首を横に振って否定する。

「残念」

 人の悪い笑みを浮かべて信行は伊織の隣りに腰を下ろした。

 何を始めるのかと思えば、今度は体の切り傷に薬を塗ってくれる。今日はいやに親切だ。

「信行・・・・・・」

「何だ」

「今日は・・・・・・ありがとう」

「気にすんな」

「色々、世話になった今日は」

「いつものことだ」

「悪かったなぁ」

「ま、弟分の助けをするのは当然」

「お前みたいな兄はいらないー」

 尚柾ならともかく。

「・・・・・・俺だってお前みたいな弟は欲しくない」

 宗冬ならともかく。

 また喧嘩が始まるのかと、尚柾と宗冬ははらはらして二人の沈黙を見守った。

 が、伊織が先にぼけぼけな質問を口にした。

「?じゃあ俺と信行ってどういう関係なんだ?」

 『同じ家に住む人』の名称は父母兄姉弟妹叔父などなど。

 翁が父なら尚柾は兄で、宗冬は時々弟。

 ならば今目の前にいる人物は?

 それは幼い伊織の純粋な問いだった。

「さぁな」

「んだよ、お前色々知ってるだろ、わかってんじゃないのかよ」

 ぐいぐいと袖を引っ張る伊織に仕方なく

「大人になったらお前もわかるだろ、俺だって知らない」

 それは正直な答えだった。

「信行も知らないのか?」

「わかるかよ、んなこと」

 そしたら、いきなり伊織は満足そうに笑った。

「なら、俺が先に見つけるからな!」



 そんな、懐かしい思い出。






「いってぇって!信行!!」

「これぐらいの傷で騒がないで下さいよ、伊織さん」

「これぐらいって・・・・・・お前にとってこの傷はこれぐらいなのか!?」

 があがあ騒ぐ伊織の腕には刀傷。けれどほんのかすり傷だ。

 『これぐらい』じゃない時はひたすら我慢するくせに。

 全然変わらない伊織に密かにため息を吐く。

 その仕草に気が付いた伊織は眉をしかめた。

「なんだよ、信行」

「いえ、伊織さんは変わらないなぁと思いまして」

「嫌みか!」

 どうせ俺は成長しませんよーとぎゃいぎゃい騒ぐ。

 呆れた、と信行はまたため息を吐く。

「・・・・・・信行が変わり過ぎなんだよ」

 けれど、伊織の少し低くなった声に薬草を擦っていた手を止めた。

「お前、変わったよ。俺に敬語使うし、挙げ句の果てにはさん付け?」

「それは」

「寺に入ったからって、そう簡単にお前自身が変化するもんか。何?俺と距離置こうとしているのか?」

 単純で、動きを読みやすい伊織。

 けれど、結構鋭い読みをする。

「別に、そんなつもりはありませんよ」

「あっそ。嘘くさい笑い方してくれるよなぁ。いつからだっけ?そんな風にお前が笑い始めたの」

「普通に笑っているつもりですが?」

「・・・・・・お前が昔何があったのか確かに俺は知らないよ。でもなぁ」

 はぁ、と珍しく伊織がため息を吐いた。

「もういい。寝る」

 もうすぐ大坂だ。明日は早く出発しよう。

 森の中の野宿の番を信行に押しつけて伊織は地面に寝転がった。

 その時、遠くで狼の遠吠えらしきものが聞こえた。

 ぱちん、と薪がはじける音も聞こえた。

「信行」

「・・・・・・はい」

「やっぱり、俺が先に見つけたな」

「・・・・・・」

「お前に否定されたら、また振り出しだけど」
 
「私と貴方の関係ですか・・・・・・?」

「お前はまだ見つけていないようだから、言わない」

「・・・・・・それは、」

 新たな問いを投げかけようとしたが、止めた。

 何?と不思議そうに視線を投げかけられても首を横に振る。

 言ったところで、どうなる。


    自分がどんな立場の人間でも?



   彼の答えは変わらないのだろうか。




 今はむしろそっちの答えの方が重要だった。



























 微妙な・・・・・・。ギャグにしようと思ったのに・・・・・・・何故。
 しかも続きを示唆するような・・・・・・。示唆していません!←それもそれでどうなのよ。
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